まだまだ冷たい空気を漂わせていた2006年2月の中頃。僕の携帯をコールしていたのは「第2回ジョージ・ナオペ・カネ・フラ・フェスティバル」 主催者のリックサン・ニコラス氏だった。「元気にしているかい?去年はゲスト出演ありがとう。で、もちろん今年は競技者として出てくれるんでしょ?」 なんてどうしようもなく軽い参加依頼だった。『残念ですよリックさん。僕は大会規定の年齢制限から外れちゃっててぇ』なんて冗談気味で返す僕に対して リック氏は、躊躇することなく「ノープロブレム、それは去年の規定。去年の審査員ミーティングの時に変更したんだよ。色々あってね」。 いつも本気の声で物凄く恐ろしいブラックジョークを交わすリック氏が何やら本当に本気なようだ。そして僕は、ハワイアンにしてはかなりスピード感のある英語に戸惑う。 こういうことに関してはリック氏は俗に言う【ゴリ押し】タイプであることに間違いない。僕は、仲間達にも予定を聞かなきゃいけないからと言葉を濁し、返事を待ってもらうようにした。
とは言うものの、実の所去年の段階から既に出場せざるを得ない雰囲気をかもし出されていたのは確か。 ただ日本人の僕等が8月の忙しい時期に長期の休暇を取るというこがどれだけ難しいことなのか、 一番知っているのは自分達なのだ。長期の休暇だけではなく、それまでの過程にもよる。 練習が出来る環境作り、そして全員のチームワーク。何より意気込み。フラ中心で生活している者達とは全く別次元の人間が、何かの目的の為にフラと一体化する。 その難しさ。
それでも僕等は自分達が目指す場所へ向かう。【挑戦】というドラマに向けてゆっくりと歩を進めていく。 そして決断をする。「僕等は闘わなければ上にあがれない」。
2006年5月。クム.カマイレのゴーサインと共に、僕等の熱い夏が始まった。
僕が始めたのはまず演目のファクトシート作り。ファクトシートとはつまり、「研究書」みたいなもの。 他のダンス種目の競技会等を経験したことが無いので何とも言えないが、【フラの競技会】ではこういった「研究書」を事前に提出しなければならない。 たかが一曲。されど一曲。数分間しか内容が語られないたった一曲に、隠然にそして深々と存在する物語。数行に込めた作者の想い、時代背景、歴史等、深く深く探る旅。 一体何を象徴しているのか、その背景には何が隠されているのか、そして伝えるべき物語は一体何なのか。 それが例えアウアナ[現代フラ]であっても、カヒコ[古典フラ]であっても、変わりなく隠されるストーリー。 あるいは、これがフラというものの醍醐味なのかもしれない。伝統芸能の中に懇々と込められたメッセージ。それを汲み取る後世の僕達。
しかし調べど調べど出てくる疑問点。ましてや文献が見つからない物語もある。投げ出したくなる程に、気力が削られていく毎日。 何百ページとある英語の文献の中の、たった一行が物語を大きく左右することもある。疑問を抱く度に、振り出しに戻る宝探し。 それはまるで、何種類もの人生ゲームを同時に行いつつもそれぞれのゲームがどこかで繋がっているような、 堂々巡りをしているのか、まったく別のことをリサーチしているのかすらも分からなくなるほどの途方もない作業みたいに。頭を抱えるとはこういうことか、と思う。
同時に僕は今まで歩んできた道に感謝せざるを得ない。僕が全く英語を知らず、リサーチの仕方も知らずにいたら手を付けることの出来ない領域だった。 小さいけれども踏みしめてきた一歩。少なからず得てきた知識。そして新たに刷り込まれる経験。さらには目的を共に達成できると信じられる繋がり。
全ては、繋がっていた。


















